FOOTBALL TRIP #1

元プロサッカー選手:古田 寛幸

〜J1-J3の経験を今後の人生に〜


ボールを巧みに操り、ドリブルで切り裂きゴールを狙う―。

その姿を一度でも見たことがあるという人は、その印象は深く、記憶に刻まれている存在であろう。


古田寛幸

2019年シーズンを持って、引退を発表。

プロサッカー選手としてJ1からJ3までの各カテゴリーでプレーした経験を持つ彼の『現在』に触れる。



日本を代表するスターキャリアから、J3までを経験した後悔のない現役時代


古田はいわゆるスター街道という道を駆け上がったといって良いであろう、鮮烈なキャリアの持ち主だった。

コンサドーレ札幌(現・北海道コンサドーレ札幌)U-18在籍時、高校2年生で後のトップ契約が発表され、二種登録。当時のコンサドーレ札幌の最年少出場記録を更新しデビューを飾った。

世代別代表にはU-15日本代表から選出され、この世代の代表選手として長く世界と戦った。


この年代の日本代表として共に戦った選手たちは、原口元気(FCウニオン・ベルリン)、扇原貴宏(横浜Fマリノス)など未来の日本サッカーをけん引するであろう「天才」と評され、その中で古田もまた堂々たる存在感を放っていた。


コンサドーレ札幌でも若くして副キャプテンに任命されるなどその存在は大きく、アカデミーから育った古田には大きな期待がかかっていた。


「間違いなく札幌が自身のキャリアハイだった」と自身を振り返るが、苦悩がなかったわけではない。

プロになった先は、体感したことのない感情との戦いだった。


「順風満帆だったのはプロになるまで。正直、幼少期からプロになるまでは困ったことがなかったといってもいいほど、順調に進んでいた。

プロになりたい、というよりはプロになるんだ。と現実的に捉えて先が見えていたほどで、プロになるまでは思い描いていたまま。でもそこで経験したことがない壁とぶつかった。」


それは「試合に出られない。」と、いう初めての経験だった。



「プロになる選手のほとんどがそうだと思うけど、それまではチームの中心であることが当たり前で、試合に出られないなんて経験をしたことがないんですよ。

でも、出ることができない。その出ることができないという日々が、とにかくつらい。経験したことがないからどう過ごしていいか、試合に出るためにはどうしたら良いのか、わからないんです。」


試合に出られない日々と共に、もどかしい感情と闘うこととなったのは、もうひとつ。

怪我による日々だ。


「自分は怪我が多かった選手なので。怪我によってサッカーができない期間、思うようにできない期間を過ごしました。ここも難しいんですよ。時間の過ごし方、考え方。」


この二つの経験したことのない己との闘いの時間を古田は「トレーニングをした」という言葉で表現した。

それは肉体的なトレーニングだけでなく、メンタル面でのトレーニングを指す。

「体験したことのない苦しい期間を乗り越えるためにトレーニングをしました。精神的な部分もコントロールするトレーニングです。乗り越える、という強さを手に入れるための。」


2014年の夏にカマタマーレ讃岐へ期限付き移籍。その後、ツエーゲン金沢、そしてブラウブリッツ秋田へと移籍し、J1からJ3までの各ステージでプレーした。

「J1からJ3までの各カテゴリーでプレーできたことは自分のキャリアを振り返るとすごく大きかったなと感じていて。

各カテゴリーでさまざまな環境を経験することで今、自分が語れることの幅が全然違う、と。ひとつひとつの経験があったからこそ、伝えられる引き出しが多いと感じています」


と話す古田氏は今、実家の家業で仕事をしながらビジネスを学び、自身のオンラインサッカースクールを開校し、運営をしている。


古田寛幸が選択した「ブラウブリッツ秋田での引退」という最後


28歳での引退。この選択を「早い」という見方をする人もいれば、「そこまで長くやれた」という見方をする人もいるであろう。

現実的にはJリーガーの平均引退年齢は27歳と言われている。

プロサッカー選手として長く求められるということは、簡単なことではないことを示す数字だ。


まだやれたのではないかという選手がまだ若いとされる年齢で引退を決断すると、その先が閉ざされてしまったからではないかという憶測が過るものだが、古田氏が引退という大きな節目を決断した際は、先が閉ざされひとつの道しかなかったというわけではない。

サッカー選手として新たな挑戦という選択肢もあったと言う。


「引退を決めた理由、というと、多くのことが重なったことによるものなんですけど、きっかけとなった大きな出来事としては、ブラウブリッツ秋田で構想外だと伝えられたことでした。」


契約を1年残した上で伝えられた、構想外という厳しい現実。

その時、「ありがたいことに非常にワクワクする(他クラブからの)お話をいただいていた。すごくワクワクしたし、そこにいってプレーするということも考えた。

…でもそれでは、これまでと同じだな、と思ったんです。」


札幌時代、期限付きで讃岐へと移籍。金沢時代、期限付きで秋田へと移籍。

というチャレンジの歩みを経て「契約を全うできなかったことが気がかりになっている部分があった」と古田氏。


「また1年の契約を残して次にチャレンジする、というよりも秋田で契約を全うしたいという気持ちがあった。構想外かもしれないけれど、自分にできることはある、と。そう思った時に今季限りで引退しようと決めました。

このシーズンで引退すると決めて1年を過ごせたので、引退に向けてやるべきことをやろうと思えました。」



練習試合でさえも短い時間しか与えられず、構想外という現実を感じながらも、どうにかなるかもしれないと、最後の1年と念頭に置いていたこともあり、努力もチャレンジも惜しみなく出来た。

プレーだけでなく、ピッチの外でも出来ることを意識し、取り組んだ。

そのひとつが『伝える』ことだ。


「秋田は発展中のチームだったので、若い選手たちに自分のキャリアや経験から話せることはどんどん話しました。

健康について食事会場の円卓で一人で熱く語ったりとか。伝えるために自分が話す、ということが自分は好きなんだなと気づいた部分もありましたね。

自分は喋るの好きなんだな、伝えるのが好きなんだな、と。」


引退する日が決まっていることで、自身のサッカー選手としての幕引きを意識した時間を過ごすことができた古田氏は、悔いを残すことなくとても充実した気持ちで、引退を迎えた。


「そうやって引退への準備と心構えを自分で考えながら過ごせたこと、そしてひとつひとつの場所が(札幌・讃岐・金沢・秋田)とても刺激とやりがいに満ちていたこともあって。

自分のキャリアに後悔がない。

引退して、ちょっと時間が過ぎたらサッカーやりたくなったりするのかなぁと思ったりしたんですけど、今のところ全然サッカーしたいと思わないくらい(笑)、本当にやり切った。

サッカーをやっていた自分は、やり切りました。」


晴れ晴れとした顔ながら、すでに先に向けて惜しみないパワーを注いでいる、そんな力強さを感じる古田氏。

その見据える先は、過去でも悔いでもなく、未来へ向けてのものだ。


引退してから続くサッカーとの関わり

オンラインサッカースクール


「自分が指導者になって対面でプレーしながら教えていく、という道にパッションは感じず、指導者になりたいと思ったことはなくて。

でも喋って伝える、自分の経験したことから伝えられること。と、いうのは自分に合っていると感じていたんです。

それがコーチや監督といったプレーする場所にいる指導者ではなく、自分に合っている『伝える』形としてオンラインサッカースクールになった。」


という古田氏は、現在HFアカデミーというオンラインサッカースクールを開校し、運営している。

コロナ禍ということもあり日本全国でより需要が上がったインターネットというツールを使い、日本全国のサッカーをする子どもたちと日々繋がり、マンツーマンで話をしたり、子どもたちのプレー動画や試合の動画を見て適切なアドバイスを直接伝えている。

トレーニング方法や、自分の経験も存分に子どもたちとその保護者に伝え、交流を深めている。


「引退してから、サッカーはしていないけど、自分の経験から伝えられることは多くあると思っていて。

『伝える』と『発信』。これは自分がサッカーを通じて出来ることだと思ったので。」


サッカー選手を終える前から、自身が年齢を重ねたり家族を持ったりする変化を経過する中で、サッカー以外の分野にも興味が出てきたという。

主にビジネスに深い興味があり、サッカーしかしてこなかった自分がどうやってビジネスシーンで活躍できるかと考えながら勉強を重ね様々な人と交流し、イメージと発想を持って今を走っている。


しかし、サッカーは自分にとってなくてはならないものだった、サッカーが自分の人生だったのは間違いない。

だからこそ、まったく切り離すということではなく、サッカーに関わる『形』を模索した結果、オンラインサッカースクールの開校に繋がった。


GiNGAを着ての撮影「はじめてサッカーやりたいな。って気持ちにさせられた」



引退してからサッカーを一度もしたいと思ったことがないという古田氏だが、この日。

GiNGAのウェアを着ての撮影中、ボールを軽く蹴りながら、こう言った。


「引退してからはじめて、サッカーやりたいな。と思ったかも。いいですね。サッカーしたいな。」


これまでもGiNGAの服を着用してきた古田氏は、

「GiNGAの服たちは、とにかく自分の好みでデザインがかっこいい。単純にかっこいいと思って着ています。

自分の好みでただただ大好き。着心地もいいですし。」


「そして、(代表の)塩崎さんのストーリーに魅力を感じていますね。

自分も育った北海道という地から何年もかけてご自身のこのブランドを大きく羽ばたかせている。

ビジネスの分野で勉強中の自分にとっては刺激でしかないですし、そのストーリーに魅力を感じる。」


ウェアを着用するとデザインをチェックしながら、素材や着心地を確認するかのように、服を触り動かしながら、ボールを軽く蹴り動きやすさの確認もする古田氏。

GiNGAのウェアを着て、サッカーがしたい。という言葉が素直に出る。そんな時間となった。


これから新しい挑戦をしたい、という古田氏。

プロサッカー選手としての日々を終え、第二の人生をスタートした古田寛幸の眼は今も、鋭い眼光を放っていた―。



PROFILE:古田 寛幸

北海道札幌市出身。1991年5月23日生まれ。

2019年に現役プロサッカー選手を引退。その後はオンラインサッカースクール開校や、両親が営んでいる事業に携わりながら学校の講演会等などに出向き多方面で活動されている。

TEXT: IIMORI TOMOKO

EDIT: SHIOZAKI TAKAHITO


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