「リーダー格で、チームを引っ張る力がある」
中野監督は宮本優太という『人』の部分をそう言葉で表現した。
試合の中やチーム内外だけでなく、さまざまなところに意識を配りその時の空気や人の感情、表情、自分のすべきことの中で何が一番適格かまでを 瞬時にそして自然に判断している気さえする。
そのくらい、周囲のひとつひとつにきちんと向き合っている姿は、まさにリーダー気質であり人が頼りたくなる頼りがいある存在といえるであろう。
「4年前の祝勝パーティーでは、付属高の一人としてこの場に立っていた宮本が」と、中野監督。
4年前—。
流通経済大学のインカレ優勝、そして流通経済大学付属柏高校の選手権準優勝を祝う盛大な祝勝会の場があった。
当時のチームは、川崎フロンターレに進んだ守田英正(現・サンタクララ)をはじめ、ジャーメイン良(現・ジュビロ磐田)や今津佑太(現・サンフレッチェ広島)、渡邉新太(現・大分トリニータ)などがプロの世界へと進むこととなり、各チームのユニフォームを着て立った。
その壇上には、流経柏のキャプテンとして立つ宮本優太の姿、菊池泰智(→サガン鳥栖)や薄井覇斗(→松本山雅)らの姿もあった。
彼らが新たに入学する新1年生の代を指して中野監督は当時
「新しい1年生世代は、きっとこの世代を超える」と口にしていた。
「4年前、プロにいく先輩たちを目の前にして、必ず自分も4年後プロに進む選手になっていたいと思っていた」と、宮本。
大きなタイトルを獲ったチームからは、プロに進む多くの選手たちが誕生するという形を目の前に実感した、4年前。
4年という時間を経て、濃密な経験と成長を手にした宮本優太は、浦和レッズのユニフォームを着て堂々、壇上に立った。
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大きなタイトルを獲り、多くのプロ選手たちを輩出した、輝かしく見えていた流経大トップチームへの進学。だが、実際に入ってみると問題点も多く、1年生ながら改善していかなくてはいけないと感じたことが多かったと宮本は振り返る。
1年生の6月頃からトップチームに上がった宮本だが、当時のトップチームは主力となっていた選手たちが卒業したこともあり、新しい世代で苦しい戦いをしていたことに加え、個性派と表現されることの多かったやんちゃさを持った4年生たちの方向性がひとつを向いているとは言い難い状況だった。
トップチームの低迷もあり、1年生主体チームで早速選手としての可能性を多いに感じさせていた選手たちを早い時期からトップチームへと昇格させ、中野監督は積極的に起用した。
当時のチームは決して良い空気とはいえず、当時の4年生の圧も相当なものだったが、それでも宮本は誰かが言わなければ変わらないと感じ、率先して先輩たちを相手に意見を言った。
「当時の4年生…今考えると,こわかったですね。でもそれでも言わなきゃいけないと思ったし、言わなきゃ変わらないと思った。
1年生だったけど、相当強い言葉で言っていたと思う。ピッチの上でも外でも。そのまま終わるのが、嫌だった」
「遠慮はいらないと思った」と、宮本。
最初は意見する宮本を生意気だと怒っていた先輩たちも、徐々に同じ目線で議論したり相談してくれるようになり、意見を言わずとも求められるようになった。
遠慮せず思い切りぶつかり続けたことで、時間をかけて徐々に信頼関係が生まれた実感を持てた。
しかし、一度うまくいかなくなった歯車は、時間をかけながら音を立てて崩れていくきっかけとなってしまい、チームは2年生時、関東大学リーグ1部からまさかの降格を経験した。
徐々に時間をかけて傾いていったチームの在り方を「こうなってはいけない」と反面教師として捉え、落ちてしまったところからチームを向上させなければいけないという使命感を持ち、さらに積極的にチームを引っ張る一人となった。
「今でも1年生や2年生の後輩たちに言います。俺たちにもっと意見を言っていい、と。
自分がそうしてきたし、自分たちも決して良いところだけの先輩じゃないはず。もっと積極的に自分を出してこい!と声をかけるようにしてますね。そうならないと、ダメなんですよプロになってもきっとそう。遠慮なんかしていられない」。
『優太がいるから、大丈夫。』
監督からもスタッフからも、同期はもちろん先輩後輩からも。
慕われ、頼られる大きな存在となった宮本優太は、次なるステージとなるであろうプロの世界をも意識し、常に強い牽引力を持って ピッチに立っていた。
プロサッカー選手になる、という目標は最低限クリアすべき当たり前のこと、といっても過言ではないほどに確固たる目標と掲げ、1年生時から積極的にプロの世界で戦う機会を想定し、プロとの練習試合での時など吸収できるものはすべて吸収し、自分の負けない部分を確立してきた。
自信を持って他に負けないポイントとして「体力」を挙げる宮本優太は、昨年の浦和レッズでのキャンプでも体力系の計測で1位を記録し続けた。
「曺さんが来てくれてから常にプロの世界でのサッカー選手という意識を置いて過ごすようになった。
プロの世界で求められることや、プロの場面ではどういうことが起こるということがより鮮明になりましたね。その教えを受けて必要であることが増えたし、それを備えるためにしっかりと準備をして自分のものにしなくてはならないと考えていた」
と、プロの世界で通用するための自分に意識を置き、己に厳しく追及を続けたことに加え、さらにチームでの責任感と引っ張る力が強くなった。
関東リーグ2部での優勝・1季での1部リーグ復帰となる昇格に加え、3年生時にはアミノバイタルカップ優勝、そして4年生時に関東大学リーグ1部での優勝という大きなタイトルを手にした。
全国大会よりも難しいとされる関東でのタイトル。強豪・流経大であっても全国大会のタイトルよりも獲れない関東のカップ戦で初優勝、リーグ戦でも12年ぶりの制覇という偉業を達成したチームとなったが、それでも宮本は『全国一になること』に強い想いを持っていた。
流経柏時代、インターハイで優勝したチームは、優勝候補の筆頭に挙げられた高校選手権で惜しくも準優勝。
「選手権での日本一のタイトルを逃したあの経験が、より日本一になることへの貪欲さに繋がっている部分があるかもしれない。
高校の時とチームは違うが、自信を持って頂点を目指せるチームになっているという実感があるからこそ、このチームで日本一になりたい。プロになるという目標もそうだが、大学では日本一になってみせる、と目標にして入学した。
だからこそ、今度こそ。獲りたいですね」
関東を獲ったチームであるというプライドを持って、日本一を目指していた。宮本は力強くチームを引っ張りながら大きな声でチームを鼓舞しながら、大切に戦っていた姿がインカレに在った。
しかし、準決勝にて敗戦。
メンバーに入ることのできない4年生が待つスタンドに向かい長く頭を下げると、スタンドにいる一人一人と手を合わせて歩いた。
「今度こそ日本一になりたい。『全員で』戦いたい」と言っていた宮本の指していた『全員』はメンバーだけでなく、スタンドにいる選手たちや、この日試合に向かうことができなかった選手・スタッフも含め、チーム全体を背負って頂点を目指し戦っていた。
宮本だけではない。そういった想いを持った選手たちで戦っていたチームだからこそ、強かった今季の流経大だったのだ。
はじめて、浦和レッズの練習に参加したのは1年生の時。
それから4年間、流経大の選手でありながら浦和レッズを意識し、感じながら戦ってきた。
1つ上でチームのキャプテンを務めた伊藤敦樹の存在は大きく、加入1年目から主力としてピッチに立ち存在感を放つ姿はとても刺激になった。
事あるごとに連絡を取り、浦和レッズでのこと、流経大のチームのこと等、いろいろなことを話しコミュニケーションを取ってきた。
「一緒にやっていた身近な選手が、プロの世界で必要とされて、力を発揮しているところを観ると、やっぱり意識もするし、刺激も貰うことができる。
敦樹くんだけじゃなくて、仙台の2人(加藤千尋、アピアタウィア久→現京都サンガ)もそう。俺たちのやってることはちゃんと(プロの世界で)力になるんだと、自信にも繋がっている」
「自分が引退するとなった時に、多くの人が涙を流してくれるような、そんな選手になりたい」。
今後どのようなプロサッカー選手になりたいかを問われ、そう答えた宮本。
それは間違いなく、浦和レッズで引退した阿部勇樹を指している。
浦和レッズのチームの一員として、すでにリスペクトとチーム愛を持って 宮本はプロサッカー選手として、在るのだ。
「必ず日本を代表する選手になって、ここにいるみんなでA代表で、またサッカーがしたい。」
と今後の再会の場として、目指すべき約束の場所を挙げた。
簡単じゃないことは重々承知だ。
それでも自信があるのだ。自分だけでなく、共に戦い歩んできた仲間たちの強さに。
「この選手たちは、超えるよ」
そう話していた4年前の中野監督のあの言葉の意味の答え合わせを 宮本の姿に見た、そんな日となった— 。
PROFILE:宮本 優太
1999年12月15日生まれ
田柄フットボールクラブ→Forza'02→流通経済大学付属柏高等学校→流通経済大学
TEXT: IIMORI TOMOKO
EDIT: SHIOZAKI TAKAHITO
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