FOOTBALL TRIP #3 あの日の「Jリーグ」に向かって

池田 紘大

〜あの日の「Jリーグ」に向かって〜


大きな目標を持って日々トレーニングに向かう学生たちが多くいる。

大きな夢を叶えるために高校やクラブユース、大学の門を潜る選手が多くいる。


在籍したいチームや学校が強豪であればあるほど、その門は狭い。

そこに在籍するための競争を勝ち取ってプレーすることとなるが、それでも卒業時、全員がプロサッカー選手になるということは現実的に困難である。

プロサッカー選手にはなれなかった選手たちの多くは、サッカーを続けるか否かの選択に直面し、その後の自身の人生設計を改めて立て直す。


十勝スカイアース所属 池田紘大。

流通経済大学体育局サッカー部に所属していた彼は、生まれ育った北海道の地でJリーグ入りを目指す地域リーグのクラブに所属している。

3年前、大学のサッカー部を引退し卒業した後、就職先の入社式を目前にしていた彼は、大阪の地に立っていた。


大学卒業時にプロサッカー選手になるという目標には届かず、もうサッカーはやらないと決めていた気持ちを突き動かしたのは、

あの日の「Jリーグ」だった―。


 十勝スカイアース所属 池田紘大 流通経済大学体育局サッカー部 流経大

ひとつひとつ成長と経験を重ねた大学時代 

最上学年でぶつかった壁を前に「もうサッカーはやらない」と決めた



北海道の強豪高校のひとつ、旭川実業高校の中心的選手であった右のアタッカー池田紘大の名は、高校時からサッカー関係者の中で知られており複数の強豪大学サッカー部関係者、プロのスカウトも視察に訪れていた中で、池田紘大がプロサッカーの世界を目指すにあたり選んだ次なる道は、流通経済大学だった。


入学時、当時の4年生には田上大地(現アルビレックス新潟)がキャプテンを務め、湯澤聖人や山岸祐也(現アビスパ福岡)などが在籍しており、流通経済大学サッカー部 創部50周年にあたる年代だった。

50周年のメモリアルイヤーに相応しく強化されてきたトップチームは、どの大会でも優勝候補に挙げられるほど強力な存在感を放ち、その4年生中心のトップチームを目の前にして

「とんでもないところに来てしまったと思いましたね。レベルもオーラも自分の想像よりも遥かに超えていた。とんでもない先輩たちが多くいて、とにかく圧がすごかったですね。迫力があった。こういう選手がプロになるんだと肌で体感した」

と振り返る池田の1年生時は、1年生中心に構成される流通経済大学FCで関東サッカーリーグ1部(KSL)を戦いながら、強力なトップチームを身近に観て感じ大きな影響を受けた。


「1年生中心だった流経大FCとは全然違うレベルのチームだった」と語る流経大ドラゴンズにその後所属、JFLで戦うという経験を積んだ。

「あの時のチームはすごくレベルが高かった。あの頃、トップチームとドラゴンズが毎週のようにガチで練習試合をしていて。ドラゴンズが勝つことの方が多かったのを覚えています。

JFLのファーストステージで優勝して。4年生の選手たちは後期からトップチームに移ったりだったけど自分は1シーズンドラゴンズでプレーしてJFLの頂点を決めるチャンピオンシップ、年間2位という経験をさせてもらいました」

ドラゴンズでの経験を経て、トップチームに昇格を果たすと、試合に出場し存在感を放つ。

総理大臣杯ベスト4やインカレ優勝などトップチームが刻んだ功績に貢献し、当時の4年生・守田英正(現サンタ・クララ)やキャプテンを務めた石田和希(Honda FC)、ジャーメイン良(現横浜FC)、渡邉新太(現大分トリニータ)、今津佑太(現サンフレッチェ広島)といった強力な4年生と共に 歴史に残る1世代の一員になった。


しかし、4年生になるとそれまで年々向上してきていた自身の道に対し「うまくいかないなぁ」と感じることが多くなった。

インカレで前年優勝していたため、天皇杯へのシード出場権を獲得していたトップチームだったが、茨城県予選で筑波大学を倒した流経大ドラゴンズに敗戦。

ドラゴンズが茨城県予選を獲ったことで、トップチームとドラゴンズの天皇杯ダブル出場となったが、決してダブル出場のために消化試合として臨んだわけではない。

公式戦において、トップチームがドラゴンズに敗けた。その結果は、流経大のトップを張るチームとしてあってはならないことだった。


「その結果を受けて、自分はIリーグのチームにまで降格になりました。そこから、なんでこんなうまくいかないんだろう、って不貞腐れてましたね今思うと。

その後、トップチームに戻ることはできたけど、全然ダメで。怒られていることも自分にはわからないと感じることも多くなって。メンバーにも当然入れない日々が続いて…なんでこんななんだろう、って。

諦めちゃってましたね。もうダメなんだ、と。そういう(諦めた)自分がいましたね」


トップチームに身を置きながらも、その先への諦めを抱いた池田紘大は、9月頃から就職活動を始めた。

プロサッカー選手になるのは無理だと自身で判断し、大学でサッカーを辞めること決めた。


「なんかどっかでプライドみたいなものがあったんだと思います。当時はそんなかっこつけというか…自分では気づいてないんですけど。

J3とかJFLとか、さらにその下で、サッカーはやりたくないっていう。勝手なプライドがあったんです。J2以上に行けないならここで終わりって。

這い上がるために頑張る自分というのはカッコ悪い気がしてた。だから就職しよう、サッカーやめよう、ここで終わりって。」


就職が決まったことで、大学でサッカーを辞めるというこの先が明確となった。

もう辞める、と決めたはずだった。



J3のピッチの上で戦う同期 

自分の中から湧き出る想いが引き出された運命の日


 十勝スカイアース所属 池田紘大 流通経済大学体育局サッカー部 流経大


就職のため、大阪に移った池田紘大は、ガンバ大阪のホームスタジアム・パナソニックスタジアム吹田で行われたJ3の試合に足を運んだ。

大学の同期である新垣貴之(ギラヴァンツ北九州)のプロサッカー選手になった姿を観に行くためだった。


試合はJ3。ホームのガンバ大阪U-23とギラヴァンツ北九州の試合。

J1で戦うガンバ大阪の試合とは観客の数も歓声の大きさも違う。試合会場の活気もJ1の試合開催のときよりもずっと静かだった。

それでも感じる、確実に存る『応援』という空気。


「歓声は決して大きくないし、観客も少なかった。

でも、心から応援している人たちがいて、そういった人たちの前で試合をするっていう目の前に拡がる光景から、伝わってくるものがあった。

こうやっていろんな人に応援されて、人が観に行きたいって思える場でサッカーをする…。

サッカーをやる側にいたい、と思ったんです」


大学の4年間を同じく過ごし、同じピッチで同じ立場で戦った新垣貴之はプロサッカー選手としてピッチの中で走っていた。

応援してくれる人たちの声や心で支えられながら、ピッチで走っている姿。

自分がピッチに立つのではなく、スタンドで観る側になってはじめて気づいた。

「応援される中で、サッカーができる選手になりたい」。


スタジアムを出た時には、湧き出る熱さに決心が固まっていた。

入社式まで約1週間。就職を取り消してほしい、と決まっていた会社に謝罪を込めた連絡をした。


すごくいろんな人に迷惑がかかる。就職を支えてくれた人たちの顔が浮かんだ。脳裏に様々なこと、様々な人の顔や気持ちが浮かんだ。

でも、一度きりの人生。気づくのが遅くなってしまったが自分の中に確実にある湧きあがった確かな想いをきちんと直視し全うすることにした。


北海道にいる母に、電話で決断を伝えた。

「最初は半年くらい働いてお金を貯めてからサッカーに再度トライしたいという話をしました。でも『そういう気持ちになったんだったら、もうサッカーしなさい。お金の心配はしなくていいから』と言ってくれたんです。

就職も無事決まって新生活を迎えようとしていたことで安心してくれていたと思うから、本当に申し訳ないなという気持ちでしたね。自分のわがままだから、自分できちんと準備して挑もうと思っていたけど、そう言ってくれて背中を押してくれました」


どのチームも、編成が完了し新チームでの新しいシーズンがスタートしていたり、スタートする直前だったりという時期で、池田が入団する状況的には決して良い状況ではなかった。

サッカーを辞めて就職するといって卒業したからには、大学に頼って迷惑をかけるわけにもいかず、自分でなんとか所属できるチームを模索し、地元北海道にある十勝スカイアースに辿り着き、受け入れてくれることとなった。


 十勝スカイアース所属 池田紘大 流通経済大学体育局サッカー部 流経大


J3やJFLではプレーしたくないという「変なプライドがあった」という池田紘大だが、改めてサッカーがしたいと思い立って再出発する先は、Jリーグを目指しまずはJFL入りを目指しているサッカーチーム。

『変なプライド』はサッカーがしたいと再び思ったときにはもう消えていた。大学を卒業し多少ながらもブランクがある自分を受け入れてくれたこと、プレーする場所を与えてくれたこと。

再び走り出すことのできる場所となった十勝スカイアースに感謝の気持ちでいっぱいだった。


十勝スカイアースに所属して3シーズン目。

スポンサー企業で仕事をさせてもらいながら、仕事とサッカーの日々。

試合を観に来てくれるファンやサポーターはもちろん、街を歩いていても自分たちのチームのポスターを見つけたり、声をかけられたりと地域から応援されている実感を持って過ごしている。


昨年は突然襲った新型コロナウイルスの感染拡大によって試合数が減り、一時先行きが見えない事態となるなど困難極める中で、北海道代表としてJFL昇格を懸けた地域全国サッカーチャンピオンズリーグ(地域CL)へと出場。

十勝スカイアースはグループリーグを突破し、4チームで争う決勝ラウンドに進出を果たすも、結果は4位。JFL昇格までは叶わなかった。

まだコロナ禍が続き、試合が少ない日々が続きながらも昨年よりも上を、という目標を持って挑んだ地域CLだったが、グループリーグ敗退という結果となった。

「練習で出来ていたことが全然発揮できずに終わった。うまくいかない、これがやりたいわけじゃない、と思っているうちに(切り替えられないまま)終わってしまった。

あれが連戦の恐ろしさというか、難しさなのかなと思う。もっとチームとしてできることがあったし、やりたいことがあった。それを実現できなかったのはやっぱりいろんな意味で力不足だと思う」


十勝スカイアースの1選手として戦い、3シーズン目が終わった。

入社式目前にして、サッカーをやる自分を強く持ち一大決心を持ってピッチに立ってきたものの それでもモチベーションの維持が難しい時期もあったが、応援されている・応援してもらっているという実感が、

またひとつでも上でプレーしたいという気持ちに結びついた。


同期を中心に先輩・後輩も含めた活躍はいつもチェックしている。

同じピッチで戦っていた選手たちの『今』を目にすることで、負けていられない、という気持ちにさせてくれる。


大学を卒業する前に気づいていれば、という声もあるかもしれない。

でも一度離れる決心をしたからこそ、池田紘大が改めて気づくことができた サッカーの在る・サッカーが出来る日常の魅力。


彼はもう大学生ではない。もちろん高校生でもない。

卒業して社会人として働き3年目の今も Jリーグでプレーしたいと大きな目標を持ってサッカーをしている『選手』である。


 十勝スカイアース所属 池田紘大 流通経済大学体育局サッカー部 流経大

PROFILE:池田 紘大

1996年10月31日生まれ 

SSS札幌サッカースクール→旭川実業高校→流通経済大学

TEXT: IIMORI TOMOKO

EDIT: SHIOZAKI TAKAHITO


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