J1内定7名を含むチーム史上最も多いJリーグ内定者12名。
今季のチームは、これだけプロの世界に必要とされる選手の多いチームであることで大きな注目を集めただけでなく、225名以上が所属する大所帯のチーム。
そこで、チームを代表するキャプテンを務めるということは、誰もが想像するよりもずっとずっと、重い。
史上最高とも評されたチームでキャプテンを務めたFW満田 誠は、サンフレッチェ広島でプロサッカー選手となる。
タレント揃いであることに加え、2020シーズンの曺貴裁氏による指導と教えにより急成長した選手たちも台頭したことで過去最強になるかもしれないと期待が懸けられたチームの新たなキャプテンに使命されたときは「自分でも意外だった」と話した満田。
「キャプテンは優太(宮本)が相応しいと思っていた。付属高(流経柏)でもキャプテンをやっていたし、チームを引っ張る強い力がある。でも自分がキャプテンと言われたことで、自分にどんなことが求められているのかと考えたときに、自分の長所である なにより『真面目』であることだと思った」
「チームの内外全ての人たちが見たり聞いたりしても、どこからでも自分は『真面目』であること、が必要だと思っていた」
225名を越える同世代の選手たちが生活を共にする日々の中で、様々な問題が常に存在する。さらにサッカーチームとして方向性を持って進まなくてはならない、チームとしての歩みも共存する。
その中でキャプテンという立場から、どうしても言いたくないことでも言わなければならない時がある。
時に問題提議をしたり、時に人を否定したり。嫌われ役になることもある。そういった時に説得力がなくては、と考えた。
「あの人に言われるなら仕方ない、という存在にならなければならないと思っていました」
『真面目』なキャプテンで在り続ける自分との葛藤や、『真面目』さを確立させるためにあった苦悩も当然存在したが、それでもチームのために、と自分のことは二の次としてチームの先頭に立ち続けた最高学年の1年間。
ひとつの節目を終えて時間を振り返ると、あっという間だったと表現する人が多いが 満田はこの1年を「すごく長かった」と振り返る。
大学サッカー最高峰の関東リーグを獲った彼らは、続くインカレでも当たり前のように大学の頂点を目指し挑んでいたが、準決勝で関西・阪南大を相手に延長まで戦い1-2で敗れた。
試合後、思わぬところで大学最後の試合となってしまった悔しさ溢れるNACK5スタジアムのピッチに最後まで残っていたキャプテン満田に、中野監督が寄り添うように肩を抱き、声をかけた。
「1年間、ありがとう。4年間ありがとうな。」
監督の言葉に、長かったキャプテンとしての1年間の張りつめていたものが一気に溢れ出た。自分の定めたキャプテン像を目指し、守り、戦った1年だった。
たまらなく、涙がこぼれた。キャプテンであるという重みをさらに重く課したのは、責任感からだった。
監督やスタッフ、そしてチームメイトも満田の『真面目』さ故にその課した日々大きくなる重みに潰されてしまわぬよう配慮だってしたはずだ。そう支え合っていた関係性があったからこそ、強くなったのだ。
大学4年間で成長できたと実感していることは、と問われ、
「キャプテンとしてチームを引っ張っていく難しさを学んだこと」と、満田は答えた。
熊本県からサンフレッチェユースの一員として広島に移り住み、3年間を過ごした場所。
必ずプロサッカー選手になると決めて進学した流通経済大学での4年間を経て、サンフレッチェ広島でプロサッカー選手となる。
高校時代、サンフレッチェ広島ユースに所属し生活していた広島でプロ選手になるということに、特別な想いが当然のように存在する。
「広島の人たちはとてもあたたかい。自分は熊本から広島に出てきたが、とても良くしてくれたし、今も応援してくれていて、お世話になった街の人たちがみんな声をかけてくれる。
練習場のある地域は特に本当にあたたかくて、どこか懐かしい感じがするところが地元熊本と似ている感じで安心する。
その場所でプロサッカー選手としてプレーする姿を見せることが出来るのは嬉しいし、恩返しをしなくてはいけないなと思っています」
関東大学サッカーリーグ優勝の後、キャプテンとして立ったインタビューで
「家族に感謝したい」と家族への感謝を口にし、声を詰まらせた満田。
サッカーをするために広島、茨城に身を置き、離れて暮らすことが長かったが支え続けてくれた一番の応援者である家族に、これからはプロサッカー選手としての姿を魅せる。
サンフレッチェ広島の選手として、FWとして。
ひとつでも多くのゴールを生む選手になること、それが満田誠のこれからの挑戦となる。
中野監督は満田の特徴を「わかりやすくいうと卒業生の武藤(雄樹・現 柏レイソル)のような選手。スピード等も考慮すると、それ以上かもしれない」と話す。
流経大サッカー部の歴史の中で一番得点を重ねた選手が武藤雄樹だったが、その武藤に例えるほど評価が高いということだ。
「日本を代表する選手になりたい」という満田。
その言葉の奥には、仲間たちと再び同じチームでプレーしたいという想いがある。
各々進むチームが異なるからこそ、再び同じチームでやれるとするならば、その場はただひとつ。
日本代表という、目指すべき場所だ。
満田誠の描くプロサッカー選手としてのこの先に、流通経済大学で過ごした4年間の経験が、『真面目』さを持って記したキャプテンの経験が、どのようにリンクするのか。
目が離せない選手であることは確かだ。
2022/1/10 IIMORI
PROFILE:満田 誠
1999年7月20日生まれ
ソレッソ熊本→サンフレッチェ広島ユース→流通経済大学
TEXT: IIMORI TOMOKO
EDIT: SHIOZAKI TAKAHITO
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