J1クラブ入り7名を含む12名ものJリーガーを輩出することとなった流通経済大学で守護神を務めたのが GK薄井覇斗だ。
流通経済大学付属柏高校では高校選手権準優勝を経験し、日本高校選抜への選出など、注目された高校時代を経て流通経済大学に入学し4年間を戦った。
しかし、その道のりは平坦だったわけでは当然ない。
プロサッカー選手になる、と覚悟を持って目標を掲げ過ごした4年間を経て、松本山雅FCで実現することが決まった。
「チームの中心になって、チームを引っ張る存在になりたい」と今後の目標を言葉にした。
チームの中心となる—。
それが実現できるGKであることが、薄井の特徴であり、特性だ。
薄井の入学時。2つ上には当時、不動の守護神が君臨していた。
当時、東京五輪を目指すU22代表にも選出されていた現・横浜Fマリノスのオビ・パウエル・オビンナだ。
流経大からこれまで多くの選手たちがプロサッカー選手となり輩出されているが、入学前までにどんなに実績を持った選手であっても、コンスタントに1年生から4年生までトップチームにて試合に出続けていた選手はほとんどいない。
しかし、オビは1年生時の開幕戦からトップチームのゴールマウスにほとんどの場面で立ち続けていた。
薄井は高校生の時から、オビが在籍しているうちにオビを越えることを目標として掲げ、守護神オビの背中を追い続けた。
「自分との身体の大きさに差はあるが、手を伸ばしたり足の届く範囲だったりという守備範囲における身体での守り方は凄いものがあった。
そして監督やコーチに何を言われても、怒られても。常に良い意味で飄々(ひょうひょう)としていた。それはそれでしょ、と流せるというか、別にしてそれを置いておくことができる。
そのメンタル的な部分にも学ぶことがありました」
「自分は監督からの指示や言葉を受け止めやすい部分があって。必死になってそれをやらなきゃ。やらなきゃ。となってしまうところがあったので。
ミスしちゃいけない。これはやっちゃいけない。と縮こまってしまうクセがあって。プレーで良くない自覚があると、今の監督に言われてしまうかなぁと思ってしまったり。
でもそれを遠藤さん(遠藤大志GKコーチ)に話をすると、『監督に評価されるためだけにサッカーをやっているわけではないんだから。監督の言っていることは絶対に必要なことではあるけれど、そればかりを意識するな』と。
自分なりに噛み砕けるようにはなっていきました」
「でも中野監督が言うことっていうのはキーパーにとっては当たり前のことというかセオリーなこと。
ある種、当たり前のことなんです。でもその当たり前のことを指摘されるプレーをしてしまっている自分がいて。
だから、そういった部分に意識を置いて。セオリー通りのことは当たり前にできるように、そういった部分に意識して日々練習に取り組んでいました」
オビ在籍中にポジションを獲るという目標は叶わなかったが、目標としたその存在は大きなものだった。自分との違いを比較できたところも、影響を受けたことも、自分にしかできないことも学んだ。
インカレ出場中、神奈川県にチームで滞在していた際のホテルにオビが偶然ながら、訪れ再会した。
薄井はその時に、自身もプロの世界に進めることになったという報告をしたという。
「おめでとう!と喜んでくれました」
高校時代から7年間切磋琢磨しながら、時にポジション争いをしながら戦ってきた鹿野修平(→いわきFC)を含め、ゴールキーパーチームには共に重ねた時間がある。
薄井は3年生時トップチームから流経大ドラゴンズへと異動があり、その後すぐに半月板の大きな怪我を負い長い期間戦線離脱を余儀なくされた。
回復後も試合に出場できない時期もあり、ベンチであってもチームにとって自分になにができるかを考えた時、自分の特性である『声』でチームを支え、モチベーターとしての役割を全うした。
その経験も、『今』となり薄井覇斗の今後に繋がっていく。
流経大の試合前には必ず、毎試合ベンチで大きな声で話をする薄井の姿があった。
「キーパーが守る上で一番責任を担っているので、試合前に一度みんなに声をかけて整理することで、ちょっとしたピンチのときに試合前に確認した話を思い返して、話していた通りに守れたりだとか、
ただ誰が誰をマークとかじゃなくて、そこに一言二言しっかり熱を入れてチームの士気を高めて締める。という役割をやらせてもらっていた」
試合前、ベンチに座るメンバーの前に一人立ち大きな声で全員の目を見て確認をしながら、試合に向けた熱のスイッチを入れる。
ルーティーンのようにもなっていたその光景が「流経大の試合が始まる」という見ている側への気持ちの高まりにもなっていた。
試合中、ゴールマウスに立つ薄井からの大きな声と指示は、観客席にいる観戦者がサッカーを観る上でも参考になるほどわかりやすく届き、相手のGKのコーチングや声かけの質と自然と比較してしまうほど、コーチングや声でチームのモチベーションを作る選手だった。
相手GKよりもずっと大きく見えるのは、その存在の大きさとゴールマウスに立つ、立ち振る舞いからくるものであろう。
プロサッカー選手となる今後の意気込みを問われ、「チームのモチベーションを上げられる、チームの中心となる選手になりたい」と答えた薄井。
ゴールキーパーがチームの中心となり、チーム全体を動かす。
自分にしかできない部分があること。そして目標として追求し続けていることだからこそ、口にした決意だ。
インカレ準決勝後、メダルを首からかけることも受け止めることも難しいほど悔しかったのは、自分が守れてさえいれば、というゴールキーパーであることの薄井の強い責任感からであろう。
点を取られなかったときは、自分のことは二の次に、周りの選手たちが頑張ってくれていたおかげだと口にする。しかし、失点をしたことに関しては自分の責任だとその重い責任を自身に課す。
記憶に刻まれる噛み締めるほどの悔しさは、高校選手権の決勝の舞台でも味わった。
その重い経験はまた、薄井覇斗を大きくする糧となるはずだ。
松本山雅の練習に参加した際、多くの人々が練習に足を運んでいることに驚いたという。
「練習であっても、本当に多くの人たちが足を運んでくれていた。
スタッフの方が、コロナ禍じゃなかったら普段はもっと来てくれているんだよ、と教えてくれて。びっくりしたんです。
多くの人が練習から足を運んでくれているというその光景が拡がっていることで、期待されているんだなと実感しますし、その人たちを笑顔にしたい、歓びを一緒に分かち合いたいと思う。
スタジアムの雰囲気はもっともっとそれを感じることができると思うし、ピッチの上だとなおさら。
それがすごく楽しみなので、試合に出てそれを感じたいです」
大きな声で選手たちに声をかける。
練習中の細かな意図を大きな声で監督や曺貴裁氏にも質問し、よりわかりやすい言葉を指導者から引き出し、選手全員で共有し、噛み砕く。
最終ラインから選手たちの動きはもちろん、考えていることや心理的なことまでをできるだけ細かく見て、声をかけられる。
それが、薄井覇斗の持つ『声』だ。
目標であったプロの世界。
松本山雅という舞台で、頂きを目指す。
2022/1/11 IIMORI
PROFILE:薄井 覇斗 USUI HARUTO
1999年7月11日生まれ
杉並FC→Forza'02→流通経済大学付属柏高等学校→流通経済大学
TEXT: IIMORI TOMOKO
EDIT: SHIOZAKI TAKAHITO
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