ボールを持つ瞬間に、人々をワクワクさせることができる選手はそれだけでひとつの魅力となる。
流通経済大学からサンフレッチェ広島へと入団する 仙波大志はそれを兼ね揃えた選手だ。
テクニックを持っている選手だからこそ常に思い描く理想は高く、周りへも自分へも求めることも、評価も厳しい。
「小さな頃から暮らしてきた広島でプロになれるというのは、とても嬉しいことだし、特別」という仙波のこれから先の目標も高く、サンフレッチェ広島のためにという想いは強い。
ジュニア時からサンフレッチェ広島で育った仙波は、ユース時には2種登録となりトップ昇格も噂される位置にいた。
「俺たちの時は(同期・満田誠と共に)トップに昇格できるかどうかという答えが出る時期が、いつもより遅めで10月くらいだったかな。
トップ昇格はできなかった、っていう現実を前にしてその先を考えました。
いろんな選択があった中で、この先プロになるには、と考えた時にココだと思って決めたんです。」
それが、関東大学リーグの強豪でプロサッカー選手を多く輩出している 流通経済大学だった。
自分はできる—。
ユース時に2種登録されたこともありトップでの練習も経験していただけに、自信を持って入学したがそこには思っていた以上の世界が在った。
「全然できると思ってたんです。大学にいってもプロではないわけだし、当時の自分ですぐに通用する、できると思っていた。
でも全然そんなことなかったですね。関東大学リーグって、流経大ってこんなレベルのかと。
今思えばあの頃は(1〜2年生時)なんにも出来てなかったですね」と振り返る。
仙波がプレーしている姿を観ると、常に思い描いているものがあると感じさせる選手だが、自分が思い描くことと自分自身の出来ることの違いにイライラし、それが態度にも現れていたと話す。
「あの頃は、人としても全然ダメだったので。試合に出れなかったりうまくいかないと、すぐ不貞腐れたりして。
でも曺さんが来て人としての部分を漢(おとこ)にしてもらえたことで、自分のことを改めて見つめ直すきっかけになって、そういうことは良くないな、とか。
もっとこういうことを考えるべきだ、とか。行動すべきだ、とか。人としての部分が変わったなんてなかなか自分ではわからないものだけど、わかるほどに変わったなと思います」
曺 貴裁氏をコーチとして迎えた3年生時。プロサッカー選手としてピッチ内外で必要なことをリアルを持って教わった。
自分がプロになるためにもチームとして強くなるためにも選手として成長するためにも、人として整うことが必要だと感じ、改めた。
曺氏の指導を受ける日々の中で、自分が思い描けることへの奥行もプラスされ、その動きやプレー、視点がさらに備わっていく実感があった。
仙波がボールを持つとなにかが起こる。そう観てる側が期待とワクワク感を持つことができる突破力と足元の技術の高さ。そしてゴールを生む力を持っている。
中野監督は「身体は小さいが、それを感じさせないプレーが魅力」と評価する。
インカレ準決勝。
途中出場でピッチに登場した満田と仙波の姿から「俺たちが必ずなんとかする」というメッセージが強く発せられていた。
ピッチに入ると何度も何度もゴールを狙い攻撃を仕掛けるも、相手は自陣ゴール前に人数をかけ必死に守っている時間が続きなかなかこじ開けられない。
何度もこじ開けようと突破を仕掛ける仙波の姿に、スタンドで見守っていたサンフレッチェグッズを身に付け駆けつけていた広島サポーターが祈るように応援していた。
「監督を胴上げして、みんなで日本一になりたい」叶わぬこととなった敗戦のピッチの上で仙波は、顔を落とし号泣した。
小さな頃から目指したサンフレッチェ広島トップチームのユニフォームに袖を通し、ひと際楽しそうに、笑顔で堂々壇上に立った。
この記者会見の前日、広島で行われた新入団会見で背番号が発表され、仙波大志がプロサッカー選手となって最初に背負う番号は44となった。
「まずは44を自分の番号にすること。44といえば仙波、というこのチームの44の記憶に残る歴史を自分で作れるように頑張りたい」
と、44という番号を背負うことへの豊富を話した後、サンフレッチェで育ったからこそ、重く大切なあの番号のことを口にした。
「4+4は……8なので。いつか8番を付けられる選手になりたい」
「森崎和幸選手、そして川辺駿選手。サンフレッチェの『8』を付けてもいいといわれるような選手になりたいですね」
「あーこれ初めて言った」と笑ったが、サンフレッチェ広島で幼き頃からサッカーをするにあたり、常に特別だと理解してきたトップチームの『8』を口にすることはそう簡単ではない。
それだけにその重みも、よく理解している。背負ってきた選手の偉大さも、多くの人々が愛し特別だと大切にしていることも、そして自身にとっても、目指したいと憧れる番号であることも。
プロサッカー選手となり、どんな選手になりたいかと問われ、
「青山選手のように日本を代表する選手になり、W杯に出れるような選手に。川辺選手のように海外のチームから必要とされるほどの選手になりたい」
と広島を代表する選手たちの名前を挙げた。サンフレッチェ広島といえば、という選手たちの名前を挙げるということは、自身もそれだけ広島といえば、という存在になりたいという目標を持っているのだ。
広島で育ち、広島でサッカーをしてきた仙波が関東・流通経済大学で過ごした濃密な4年間を経て、また広島へと繋げた。
小さな頃から着てきたという紫色のユニフォームがよく映え、似合っていた。
PROFILE:仙波 大志
1999年8月19日生まれ
サンフレッチェ広島ジュニア→サンフレッチェ広島ジュニアユース→サンフレッチェ広島ユース→流通経済大学
TEXT: IIMORI TOMOKO
EDIT: SHIOZAKI TAKAHITO
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