~2012年冬~
北海道札幌市でジュニア年代の指導をしている我々は
トレセンの指導帰りに夜ご飯を食べていた
あれは新札幌駅付近のびっくり◯ンキー
「あの選手の持ち方がさー」
「観るは良いんだけどタッチがさー」
「攻撃→守備の部分遅いよな!」とか
まじめな話はすぐに終わり
「最近カッコ良いウェアが無いな」
「なんでこんなにダセーんだよ」
「ブラジルワッペンを買ってきて黒いウェアに付けるか!」
そんな会話から始まったジンガの物語
「他人と被りたくない」
「俺らが着たい服を作る」
「1000人が1回より、100人が10回買ってくれれば最高」
これがジンガの原点で、これからもブレない商品に対する想い。
最初はドン〇・ホーテで無地の白Tシャツを買ってプリントした。
汚いけど初めて作ったあのシャツはいまも札幌オフィスにある
3色でプリントはホントに難しかった
もうやりたくないよ。あとは職人さんに俺達の想いを任せようと思ったね
ノリでやってみたはものの初心者
プリインとするインクや、インクを刷るスキージー、Tシャツは何がいいのか。いろいろ調べた
薄いのもあれば厚いのもあるし困った困った
薄いと透けるし、厚いと高いしとか
そして黒シャツに白プリントは素人には難しいんだよね
白のプリントが黒い生地に吸い込まれて、濁る感じになる
汚くなってしまうんだよ。2度刷りすると、ゴワゴワしたり、ズレてまた汚くなったり・・・
あーだこーだー試行錯誤しながらAM4:00まで実家の2Fでプリントをした
朝方になると何をしても楽しいハイな気分
遊びでリバウドのシャツ作ったりね
2012年から時は経過し、ジンガSTAFFの年齢もあがってきた。気づけば残りの人生は1/3
ライフステージもだんだん変わってきた
教えていた子達が高校入試、大学入試などの相談をしてくれる年頃に
そして、結婚する者もいれば、ちょっと早すぎるがもう会えない人になったのもいる
でもこれが人生 いつも教え子達から教えてもらうことばかりだ
子ども達と共に我々も、そしてジンガも成長させてもらっている
まぁ、想定よりはるかに遅いスピードだが
北国北海道の南米スタイルだからOKとしよう
きっと人生はそんなもので壮大な暇つぶしと誰かが言っていたな
~2014年~
2年も経てばちょっと雑誌に載ったり、少しづつウェアを着てくれる人がフットサルコートや会場で増えてきた中で
2014年に行ったブラジルワールドカップ
一生に1度しかないであろうブラジルでのW杯
チケットが当たった時のあの衝撃はいまでも忘れない
「FIFA」って名前からメールが来た
「congratulation!!」って書いてあって
急いでTwitterで調べたよ 嘘かと思ってねこれはさすがに
なんのスパムメールかと思ったね 笑
でも、これは夢ではなく現実。2010年にサッカーの指導者研修で行った以来、またブラジルの空気を感じられる機会が来たんだ
ブラジルに1ヵ月も滞在したがあっという間に時は過ぎていく
初めにリオに着く、そしてW杯の会場サルバドール、そして最後はサンパウロ
よく国内で2回も飛行機乗り継いだよ笑
全部自分たちでチケットも宿も取った
つい昨日のことのように思い出すが本当に素晴らしい時間だった
リオでは電柱の影から明らかに俺達を狙っている小僧がたくさんいたり
ナイトクラブではデカイ・黒い・高い・筋肉マッチョのセキュリティに高額なチップを求められたり 笑
昼と夜ではまったく異なる街の空気感を感じた
長期間いたサルバドールでは
【HEY!アーグア!アーグア!】と言って水の売り子がいれば
路上で寝ている野良犬は多数 さすがにあぶねーよあの犬は
チーズ棒売りの兄ちゃんの腰には、日本では見た事ない「黒いピ〇トル」が
それを見たあとに目が合ってしまった・・・
つい怖くて・・・1本買ったら、「ジャポネーゼ!アミーゴ!」と言って1本サービスしてくれた 笑
いきなり魚を盗んだだろ!と万引き犯に間違えられそうになった
この時は現地で日本語の先生をしていて友人になったコウタに助けてもらった
まさかブラポル語がペラペラな日本人だなんて相手は思わないよな 笑
警察に怒られたり、小さな男の子に財布盗まれそうになったり、いまでは人生最高の想い出だ
20泊以上寝泊まりしたサルバドールの宿では、いつからか夜中の酒と美味い軽食を宿のスタッフと毎晩過ごした
もちろんポルトガル語は曖昧。相手は英語も話せない。まだ翻訳アプリも微妙
いまならもっとコミュニケーション取れて楽しかったかな
それでも笑顔と雰囲気でだいたい通じる。
サッカーの話をすると1発でOK。ちょうどW杯期間。日本が負けたら一緒に悲しんでくれたよ。
そして「お前らの服良いな!」ってジンガのシャツも褒めてくれた
服で交流できる幸せを感じたし、世界は広いと感じた
最後のサヨナラの時
お会計に酒代が乗せられていなく、聞いたら
「お前らアミーゴだから」と全てサービスだった
人情味あふれるブラジル人達がまた一段と大好きになった
~2016年~
フットサルコートの隣に
箱は小さいが味のある札幌直営店が完成
古いので一度漂白剤を撒いたり、ペンキを塗って、板貼って、全て自分達で作った、ジンガ札幌店
ホントに小さいがブラジル感ゴリゴリで、TVでサッカー流して、解説の声を聞く 最高のBGM
昔よく行ったサッカーショップの奥にある、ブラジルのクラブチームのペナントやグッズが欲しかった
そんな非売品ばかりの店にしたくて、いろんな非売品を飾っている
自宅にはいなく、いつもここにいた
いつも誰かが遊びに来て、話して、遊んで、誰かを繋げて 良い時間だ
現在は一般の方は立ち寄れませんが、オンライン上でお会いできる仕組みを作りますのでお楽しみに!
~20××年~
ブラジルに行ったり人生いろいろと遠回りもしたが
15年以上指導者としてグランドに立つ我々
そしてなんだかんだ10年以上経ったジンガブランド
まだまだ多くのフットボーラーに着てもらえていないのは反省だ
多くのサッカー少年/少女の「サッカー人生」のスタートや
成長する過程の一部にジンガの商品を!と年齢を重ねるたびに思うようになってきた
1人で黙々とリフティング練習している子がジンガを着たり
自分の知らないジュニア選手達がジンガのウェアを着てサッカーをしている
そんなのは最高に嬉しい瞬間である
どこかの偉い人が言っていたな
「自分が死んでも物や心に残る仕事こそが最高の仕事だ」と
最近ではSNSで全国各地ジンガウェアでボールを蹴っている子ども達を目にできる
嬉しい気持ちと応援したくなる気持ちの両方があるのが指導者もしている我々ならでは
そんな子ども達が
「俺ジンガしか着ないから!」「私ジンガの服がいいなぁ」
なんてこだわりが出てきたら一人前のサッカー選手だ
プロサッカー選手になったらジンガと契約しよう
いつまでも少年の気持ちでいれるのがフットボールの最高な部分
大人のプレイヤーがシンプルに「これカッコいい!」
と思えるウェアをこれからもさらに届けるのが我々の仕事である
テンションのあがるウェアを着て
最高の仲間達とボールを蹴る
週に1.2回の2時間程度かもしれないが日常生活の一部にジンガを
これが「フットボール/ライフウェア」とジンガブランド名の下に付けている言葉の語源
長いようでこだわりが実はあるんです
少年がいつか大人になり、写真を見返したときに
「いつもジンガの服を着てたな」と思い出してくれたり
攻めしかしないやんちゃなドリブラー、守備もしないチャラい選手が
気づけばパパになり、実家のタンスを久々に開けたときに
「このジンガのユニフォームカッコ良かったな」
「自分の子どもにも着させるか」
「俺もまたサッカーしたいな」
そんな想いを繋げるフットボールブランドでいつまでもありたい
今日までのジンガファミリー全員に心からobrigado!!