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    〜夏季休業期間についてのお知らせ〜  いつもGINGA STOREをご愛顧いただき誠にありがとうございます。 夏季休業期間についてのお知らせです。 倉庫都合もあり、誠に勝手ながら下記日程を休業期間とさせていただきます。  【夏季休暇スケジュール】8/10(木):発送可能8/11(金・祝) 【AMまで】のご購入商品:発送可能8/12(土):休業 発送不可8/13(日):休業 発送不可8/14(月):休業 発送不可8/15(火):休業 発送不可8/16(水):発送作業準備 ※発送はいたしません。8/17(木):ご注文順に随時出荷STARTなお、お盆明けは配送会社に荷物が集中し、通常のリードタイムでは配達できない事も想定されます。 できる限り余裕を持ってご手配いただけますようお願い申し上げます。また、夏季休暇中のお問合せに関しましては連休明けのご回答とさせていただきます。ユーザー様には大変ご迷惑をお掛け致しますが、ご理解ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。 ジンガフットボールライフウェア

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BLOG 〜FOOTBALL TRIP〜ジンガの読み物〜

FOOTBALL TRIP #9 【力強さと匠さ 異なる魅力を持つ2選手 サガン鳥栖入団 佐藤響・菊地泰智】

FOOTBALL TRIP #9 【力強さと匠さ 異なる魅力を持つ2選手 サガン鳥栖入団 佐藤...

-サガン鳥栖入団 佐藤響・菊地泰智- 力強さと匠さ 異なる魅力を持つ2選手 ShareTweetE-mail 今季のシーズンオフにおける移籍市場において、市場の中心となったのがサガン鳥栖の選手たちだったといっても過言ではない。 チーム事情ももちろんあるであろうが、それでも他チームから集中して選手獲得の話が殺到するということは、高い評価が集中したということだ。 新加入選手が多く、体制も代わったサガン鳥栖で 新たなチャレンジに挑む選手が流通経済大学サッカー部から2選手。 どちらも身体は小さいと表現されるであろう選手だが、存在感はとても大きい。 力強さと衝撃。 彼らが、Jリーグの舞台で即戦力としてピッチに立つ日は きっとそう遠くない。 佐藤 響 「高校までは全くの無名の選手。この大学4年間で非常に成長した選手の一人」と中野監督が言う。 タレント揃いであったチームの中で欠かせない1ピースとなっていたのが、佐藤響だ。 身体のサイズこそ小さいが、とにかく強力。それは重厚さ感じる身体からきっと感じることができるであろう。 特に下半身の強さを感じさせる力強いドリブルや、球際の強さは常にチームの攻守に貢献してきた。 サイドのポジションを多彩にこなし、左右どちらでもプレーできるマルチプレーヤーであることも今後、大きな武器となる。 サイドバックから前線の一角までをこなし、守備から攻撃までタイプを使い分けることができるマルチな能力も兼ね揃えている佐藤だが、高校時代はボランチでプレーしていたと言い、攻撃に重きを置いた選手だったという。 「大学4年間で成長した部分は、守備の部分。自分は守備が全然できなかったので守備の部分の成長がなければ試合に出ることも出来ていなかったと思う。誰より力強いパワーを身に付けるために筋トレもかなり頑張った。 そういったトレーニングを積み重ねることができた大学の素晴らしい環境があったからこそ。」 コロナ禍もあり、部内でクラスターが起きた時には長い間走ることさえも許されない時期もあり身体の筋力を維持するにも難しい時期も経験したが、常に佐藤響はピッチの上で強く在り続けた。 力強さに加え、運動量も抜群。ボール奪取はもちろん、ボールを相手に取られることも少なく、ひとつひとつのプレーにパワーを感じさせる迫力を持つ。 「サガン鳥栖のホームスタジアムは非常に良いスタジアム。ピッチと客席が近くて観てくれている側に臨場感があると思うし、自分たちからもサポーターのみなさんがかなり近くに感じると思う。 早くあのピッチの上でチームの一員としてプレーをして、サポーターのみなさんと戦いたい」という佐藤響。 流経大にはもちろんプロサッカー選手を目指して入学した。 18歳時に全くの無名だった選手だが、急激な成長を遂げた4年間を経て、J1のチームに必要とされる選手となった。 今季、多くの選手が新たに加入し昨年までとは違った大きな変化を迎えるであろうサガン鳥栖で、持ち味を持ってまずは開幕スタメンを目指す。...

FOOTBALL TRIP #9 【力強さと匠さ 異なる魅力を持つ2選手 サガン鳥栖入団 佐藤...

-サガン鳥栖入団 佐藤響・菊地泰智- 力強さと匠さ 異なる魅力を持つ2選手 ShareTweetE-mail 今季のシーズンオフにおける移籍市場において、市場の中心となったのがサガン鳥栖の選手たちだったといっても過言ではない。 チーム事情ももちろんあるであろうが、それでも他チームから集中して選手獲得の話が殺到するということは、高い評価が集中したということだ。 新加入選手が多く、体制も代わったサガン鳥栖で 新たなチャレンジに挑む選手が流通経済大学サッカー部から2選手。 どちらも身体は小さいと表現されるであろう選手だが、存在感はとても大きい。 力強さと衝撃。 彼らが、Jリーグの舞台で即戦力としてピッチに立つ日は きっとそう遠くない。 佐藤 響 「高校までは全くの無名の選手。この大学4年間で非常に成長した選手の一人」と中野監督が言う。 タレント揃いであったチームの中で欠かせない1ピースとなっていたのが、佐藤響だ。 身体のサイズこそ小さいが、とにかく強力。それは重厚さ感じる身体からきっと感じることができるであろう。 特に下半身の強さを感じさせる力強いドリブルや、球際の強さは常にチームの攻守に貢献してきた。 サイドのポジションを多彩にこなし、左右どちらでもプレーできるマルチプレーヤーであることも今後、大きな武器となる。 サイドバックから前線の一角までをこなし、守備から攻撃までタイプを使い分けることができるマルチな能力も兼ね揃えている佐藤だが、高校時代はボランチでプレーしていたと言い、攻撃に重きを置いた選手だったという。 「大学4年間で成長した部分は、守備の部分。自分は守備が全然できなかったので守備の部分の成長がなければ試合に出ることも出来ていなかったと思う。誰より力強いパワーを身に付けるために筋トレもかなり頑張った。 そういったトレーニングを積み重ねることができた大学の素晴らしい環境があったからこそ。」 コロナ禍もあり、部内でクラスターが起きた時には長い間走ることさえも許されない時期もあり身体の筋力を維持するにも難しい時期も経験したが、常に佐藤響はピッチの上で強く在り続けた。 力強さに加え、運動量も抜群。ボール奪取はもちろん、ボールを相手に取られることも少なく、ひとつひとつのプレーにパワーを感じさせる迫力を持つ。 「サガン鳥栖のホームスタジアムは非常に良いスタジアム。ピッチと客席が近くて観てくれている側に臨場感があると思うし、自分たちからもサポーターのみなさんがかなり近くに感じると思う。 早くあのピッチの上でチームの一員としてプレーをして、サポーターのみなさんと戦いたい」という佐藤響。 流経大にはもちろんプロサッカー選手を目指して入学した。 18歳時に全くの無名だった選手だが、急激な成長を遂げた4年間を経て、J1のチームに必要とされる選手となった。 今季、多くの選手が新たに加入し昨年までとは違った大きな変化を迎えるであろうサガン鳥栖で、持ち味を持ってまずは開幕スタメンを目指す。...

FOOTBALL TRIP #8 いわきFC【決してエリートではない重ねた努力と成長で手にしたプロへの道 胸を張り進む新たなる挑戦 】

FOOTBALL TRIP #8 いわきFC【決してエリートではない重ねた努力と成長で手にした...

-いわきFC 入団3名- 決してエリートではない重ねた努力と成長で手にした プロへの道  胸を張り進む新たなる挑戦  ShareTweetE-mail 今季から戦うステージがついにJリーグとなる いわきFC。 地域リーグ所属時から天皇杯で格上のJリーグクラブを破るなど、その存在は常に一目置かれついにJの舞台でいわきFCの戦いが観られると待ち望んでいたサッカーファンも多い。 そのいわきFCに今季、3人の選手が流通経済大学から加入する。 スタッフ・選手と、これまでにも多く流経大卒がいわきFCに在籍しているが、今季新加入となる3人にも多くの期待がかかっていることであろう。 7年間の競争と「諦めなかった」という経験  GK鹿野 修平 流経大の付属高校である流通経済大学付属柏高校から、流経大へと進んだGK鹿野(写真:右上)は 高校時代から頭角を見せゴールマウスに立つことも珍しくなかったが、なかなか定位置を獲得できない状況にあった。 高校時代から同期の薄井覇斗(→松本山雅FC)と7年間という長い期間、共にライバルとして定位置を目指し続けてきた。 薄井が鹿野との関係を「1年生時からお互いを意識したライバル関係というよりは、オビさんを(オビ・パウエル・オビンナ 現・横浜Fマリノス)目標にし続けてきた、という関係性だったと思う。」と話すように、薄井と鹿野というライバル関係というよりは、チームにたった一人の守護神という位置一点を目指してきた。 絶対的守護神を4年務めたオビの後継について、当時 中野監督に話しを聞くと 「薄井、鹿野どちらが出てきてもおかしくはないし、タイプも全然違うのでね。高校時は薄井が出て結果も出して注目も浴びていたが、鹿野だって負けていない。むしろ鹿野の方が大学では伸びてるかもしれない」 と話しており、オビが卒業した後の大学3年時には公式戦のほとんどを鹿野がゴールマウスに立った。 大学4年になり、ピッチの上に立っていたのは鹿野だったが、大一番の試合を前に練習中、顔面に大きな怪我を負ってしまう。 そのアクシデントにより、ゴールマウスに薄井が立つ機会を得て、鹿野は2番手という位置が続いた。 それでもゴールキーパーの争いは最後まで熾烈だった。最後まで何が起こってもおかしくはない状況でアクシデントや大きなミスによって交代の時期が来るかもしれないという緊張感を持って、戦い続けた。 「うちは高校生までの経歴は一切関係なく、その選手の『今』をみて試合に出すか出さないかを決める。 高校まで世代別の日本代表であっても、特別扱いはしないし、同じ。誰にでもチャンスはあるし、無名の選手が出口ではプロになっているということも多い。 それだけ4年間は選手を成長させる。GKは試合に1人しか出れないけれど、競争することで2人がプロに行くということもありえる」 と、当時中野監督が話していた通り、薄井覇斗と共に鹿野修平もプロサッカー選手となった。...

FOOTBALL TRIP #8 いわきFC【決してエリートではない重ねた努力と成長で手にした...

-いわきFC 入団3名- 決してエリートではない重ねた努力と成長で手にした プロへの道  胸を張り進む新たなる挑戦  ShareTweetE-mail 今季から戦うステージがついにJリーグとなる いわきFC。 地域リーグ所属時から天皇杯で格上のJリーグクラブを破るなど、その存在は常に一目置かれついにJの舞台でいわきFCの戦いが観られると待ち望んでいたサッカーファンも多い。 そのいわきFCに今季、3人の選手が流通経済大学から加入する。 スタッフ・選手と、これまでにも多く流経大卒がいわきFCに在籍しているが、今季新加入となる3人にも多くの期待がかかっていることであろう。 7年間の競争と「諦めなかった」という経験  GK鹿野 修平 流経大の付属高校である流通経済大学付属柏高校から、流経大へと進んだGK鹿野(写真:右上)は 高校時代から頭角を見せゴールマウスに立つことも珍しくなかったが、なかなか定位置を獲得できない状況にあった。 高校時代から同期の薄井覇斗(→松本山雅FC)と7年間という長い期間、共にライバルとして定位置を目指し続けてきた。 薄井が鹿野との関係を「1年生時からお互いを意識したライバル関係というよりは、オビさんを(オビ・パウエル・オビンナ 現・横浜Fマリノス)目標にし続けてきた、という関係性だったと思う。」と話すように、薄井と鹿野というライバル関係というよりは、チームにたった一人の守護神という位置一点を目指してきた。 絶対的守護神を4年務めたオビの後継について、当時 中野監督に話しを聞くと 「薄井、鹿野どちらが出てきてもおかしくはないし、タイプも全然違うのでね。高校時は薄井が出て結果も出して注目も浴びていたが、鹿野だって負けていない。むしろ鹿野の方が大学では伸びてるかもしれない」 と話しており、オビが卒業した後の大学3年時には公式戦のほとんどを鹿野がゴールマウスに立った。 大学4年になり、ピッチの上に立っていたのは鹿野だったが、大一番の試合を前に練習中、顔面に大きな怪我を負ってしまう。 そのアクシデントにより、ゴールマウスに薄井が立つ機会を得て、鹿野は2番手という位置が続いた。 それでもゴールキーパーの争いは最後まで熾烈だった。最後まで何が起こってもおかしくはない状況でアクシデントや大きなミスによって交代の時期が来るかもしれないという緊張感を持って、戦い続けた。 「うちは高校生までの経歴は一切関係なく、その選手の『今』をみて試合に出すか出さないかを決める。 高校まで世代別の日本代表であっても、特別扱いはしないし、同じ。誰にでもチャンスはあるし、無名の選手が出口ではプロになっているということも多い。 それだけ4年間は選手を成長させる。GKは試合に1人しか出れないけれど、競争することで2人がプロに行くということもありえる」 と、当時中野監督が話していた通り、薄井覇斗と共に鹿野修平もプロサッカー選手となった。...

広島の『特別な番号』を背負える選手になるために 『44』の新たなる挑戦 サンフレッチェ広島入団 仙波大志  流経大 流通経済大学サッカー部

FOOTBALL TRIP #7 広島の『特別な番号』を背負える選手になるために 『44』の新...

サンフレッチェ広島入団 仙波大志 広島の『特別な番号』を背負える選手になるために  『44』の新たなる挑戦  ShareTweetE-mail ボールを持つ瞬間に、人々をワクワクさせることができる選手はそれだけでひとつの魅力となる。 流通経済大学からサンフレッチェ広島へと入団する 仙波大志はそれを兼ね揃えた選手だ。 テクニックを持っている選手だからこそ常に思い描く理想は高く、周りへも自分へも求めることも、評価も厳しい。 「小さな頃から暮らしてきた広島でプロになれるというのは、とても嬉しいことだし、特別」という仙波のこれから先の目標も高く、サンフレッチェ広島のためにという想いは強い。 プロになるために必要なこと ではなく  プロ選手として必要なこと を学び成長した『人として』 ジュニア時からサンフレッチェ広島で育った仙波は、ユース時には2種登録となりトップ昇格も噂される位置にいた。 「俺たちの時は(同期・満田誠と共に)トップに昇格できるかどうかという答えが出る時期が、いつもより遅めで10月くらいだったかな。 トップ昇格はできなかった、っていう現実を前にしてその先を考えました。 いろんな選択があった中で、この先プロになるには、と考えた時にココだと思って決めたんです。」 それが、関東大学リーグの強豪でプロサッカー選手を多く輩出している 流通経済大学だった。 自分はできる—。 ユース時に2種登録されたこともありトップでの練習も経験していただけに、自信を持って入学したがそこには思っていた以上の世界が在った。 「全然できると思ってたんです。大学にいってもプロではないわけだし、当時の自分ですぐに通用する、できると思っていた。 でも全然そんなことなかったですね。関東大学リーグって、流経大ってこんなレベルのかと。 今思えばあの頃は(1〜2年生時)なんにも出来てなかったですね」と振り返る。 仙波がプレーしている姿を観ると、常に思い描いているものがあると感じさせる選手だが、自分が思い描くことと自分自身の出来ることの違いにイライラし、それが態度にも現れていたと話す。 「あの頃は、人としても全然ダメだったので。試合に出れなかったりうまくいかないと、すぐ不貞腐れたりして。 でも曺さんが来て人としての部分を漢(おとこ)にしてもらえたことで、自分のことを改めて見つめ直すきっかけになって、そういうことは良くないな、とか。 もっとこういうことを考えるべきだ、とか。行動すべきだ、とか。人としての部分が変わったなんてなかなか自分ではわからないものだけど、わかるほどに変わったなと思います」 曺...

FOOTBALL TRIP #7 広島の『特別な番号』を背負える選手になるために 『44』の新...

サンフレッチェ広島入団 仙波大志 広島の『特別な番号』を背負える選手になるために  『44』の新たなる挑戦  ShareTweetE-mail ボールを持つ瞬間に、人々をワクワクさせることができる選手はそれだけでひとつの魅力となる。 流通経済大学からサンフレッチェ広島へと入団する 仙波大志はそれを兼ね揃えた選手だ。 テクニックを持っている選手だからこそ常に思い描く理想は高く、周りへも自分へも求めることも、評価も厳しい。 「小さな頃から暮らしてきた広島でプロになれるというのは、とても嬉しいことだし、特別」という仙波のこれから先の目標も高く、サンフレッチェ広島のためにという想いは強い。 プロになるために必要なこと ではなく  プロ選手として必要なこと を学び成長した『人として』 ジュニア時からサンフレッチェ広島で育った仙波は、ユース時には2種登録となりトップ昇格も噂される位置にいた。 「俺たちの時は(同期・満田誠と共に)トップに昇格できるかどうかという答えが出る時期が、いつもより遅めで10月くらいだったかな。 トップ昇格はできなかった、っていう現実を前にしてその先を考えました。 いろんな選択があった中で、この先プロになるには、と考えた時にココだと思って決めたんです。」 それが、関東大学リーグの強豪でプロサッカー選手を多く輩出している 流通経済大学だった。 自分はできる—。 ユース時に2種登録されたこともありトップでの練習も経験していただけに、自信を持って入学したがそこには思っていた以上の世界が在った。 「全然できると思ってたんです。大学にいってもプロではないわけだし、当時の自分ですぐに通用する、できると思っていた。 でも全然そんなことなかったですね。関東大学リーグって、流経大ってこんなレベルのかと。 今思えばあの頃は(1〜2年生時)なんにも出来てなかったですね」と振り返る。 仙波がプレーしている姿を観ると、常に思い描いているものがあると感じさせる選手だが、自分が思い描くことと自分自身の出来ることの違いにイライラし、それが態度にも現れていたと話す。 「あの頃は、人としても全然ダメだったので。試合に出れなかったりうまくいかないと、すぐ不貞腐れたりして。 でも曺さんが来て人としての部分を漢(おとこ)にしてもらえたことで、自分のことを改めて見つめ直すきっかけになって、そういうことは良くないな、とか。 もっとこういうことを考えるべきだ、とか。行動すべきだ、とか。人としての部分が変わったなんてなかなか自分ではわからないものだけど、わかるほどに変わったなと思います」 曺...

FOOTBALL TRIP #6 『遠慮なんてしていられない』人とぶつかることを恐れず確立した信頼と自信 浦和レッズ入団 宮本優太

FOOTBALL TRIP #6 『遠慮なんてしていられない』人とぶつかることを恐れず確立した...

浦和レッズ入団 宮本優太 『遠慮なんてしていられない』 人とぶつかることを恐れず確立した信頼と自信  ShareTweetE-mail 「リーダー格で、チームを引っ張る力がある」 中野監督は宮本優太という『人』の部分をそう言葉で表現した。 試合の中やチーム内外だけでなく、さまざまなところに意識を配りその時の空気や人の感情、表情、自分のすべきことの中で何が一番適格かまでを 瞬時にそして自然に判断している気さえする。 そのくらい、周囲のひとつひとつにきちんと向き合っている姿は、まさにリーダー気質であり人が頼りたくなる頼りがいある存在といえるであろう。 「4年前の祝勝パーティーでは、付属高の一人としてこの場に立っていた宮本が」と、中野監督。 4年前—。 流通経済大学のインカレ優勝、そして流通経済大学付属柏高校の選手権準優勝を祝う盛大な祝勝会の場があった。 当時のチームは、川崎フロンターレに進んだ守田英正(現・サンタクララ)をはじめ、ジャーメイン良(現・ジュビロ磐田)や今津佑太(現・サンフレッチェ広島)、渡邉新太(現・大分トリニータ)などがプロの世界へと進むこととなり、各チームのユニフォームを着て立った。 その壇上には、流経柏のキャプテンとして立つ宮本優太の姿、菊池泰智(→サガン鳥栖)や薄井覇斗(→松本山雅)らの姿もあった。 彼らが新たに入学する新1年生の代を指して中野監督は当時 「新しい1年生世代は、きっとこの世代を超える」と口にしていた。 「4年前、プロにいく先輩たちを目の前にして、必ず自分も4年後プロに進む選手になっていたいと思っていた」と、宮本。 大きなタイトルを獲ったチームからは、プロに進む多くの選手たちが誕生するという形を目の前に実感した、4年前。 4年という時間を経て、濃密な経験と成長を手にした宮本優太は、浦和レッズのユニフォームを着て堂々、壇上に立った。 後輩にも伝えたい  年齢関係なく『とにかく積極的にぶつかること』で 確立した信頼と改革 , 大きなタイトルを獲り、多くのプロ選手たちを輩出した、輝かしく見えていた流経大トップチームへの進学。だが、実際に入ってみると問題点も多く、1年生ながら改善していかなくてはいけないと感じたことが多かったと宮本は振り返る。 1年生の6月頃からトップチームに上がった宮本だが、当時のトップチームは主力となっていた選手たちが卒業したこともあり、新しい世代で苦しい戦いをしていたことに加え、個性派と表現されることの多かったやんちゃさを持った4年生たちの方向性がひとつを向いているとは言い難い状況だった。 トップチームの低迷もあり、1年生主体チームで早速選手としての可能性を多いに感じさせていた選手たちを早い時期からトップチームへと昇格させ、中野監督は積極的に起用した。 当時のチームは決して良い空気とはいえず、当時の4年生の圧も相当なものだったが、それでも宮本は誰かが言わなければ変わらないと感じ、率先して先輩たちを相手に意見を言った。 「当時の4年生…今考えると,こわかったですね。でもそれでも言わなきゃいけないと思ったし、言わなきゃ変わらないと思った。 1年生だったけど、相当強い言葉で言っていたと思う。ピッチの上でも外でも。そのまま終わるのが、嫌だった」...

FOOTBALL TRIP #6 『遠慮なんてしていられない』人とぶつかることを恐れず確立した...

浦和レッズ入団 宮本優太 『遠慮なんてしていられない』 人とぶつかることを恐れず確立した信頼と自信  ShareTweetE-mail 「リーダー格で、チームを引っ張る力がある」 中野監督は宮本優太という『人』の部分をそう言葉で表現した。 試合の中やチーム内外だけでなく、さまざまなところに意識を配りその時の空気や人の感情、表情、自分のすべきことの中で何が一番適格かまでを 瞬時にそして自然に判断している気さえする。 そのくらい、周囲のひとつひとつにきちんと向き合っている姿は、まさにリーダー気質であり人が頼りたくなる頼りがいある存在といえるであろう。 「4年前の祝勝パーティーでは、付属高の一人としてこの場に立っていた宮本が」と、中野監督。 4年前—。 流通経済大学のインカレ優勝、そして流通経済大学付属柏高校の選手権準優勝を祝う盛大な祝勝会の場があった。 当時のチームは、川崎フロンターレに進んだ守田英正(現・サンタクララ)をはじめ、ジャーメイン良(現・ジュビロ磐田)や今津佑太(現・サンフレッチェ広島)、渡邉新太(現・大分トリニータ)などがプロの世界へと進むこととなり、各チームのユニフォームを着て立った。 その壇上には、流経柏のキャプテンとして立つ宮本優太の姿、菊池泰智(→サガン鳥栖)や薄井覇斗(→松本山雅)らの姿もあった。 彼らが新たに入学する新1年生の代を指して中野監督は当時 「新しい1年生世代は、きっとこの世代を超える」と口にしていた。 「4年前、プロにいく先輩たちを目の前にして、必ず自分も4年後プロに進む選手になっていたいと思っていた」と、宮本。 大きなタイトルを獲ったチームからは、プロに進む多くの選手たちが誕生するという形を目の前に実感した、4年前。 4年という時間を経て、濃密な経験と成長を手にした宮本優太は、浦和レッズのユニフォームを着て堂々、壇上に立った。 後輩にも伝えたい  年齢関係なく『とにかく積極的にぶつかること』で 確立した信頼と改革 , 大きなタイトルを獲り、多くのプロ選手たちを輩出した、輝かしく見えていた流経大トップチームへの進学。だが、実際に入ってみると問題点も多く、1年生ながら改善していかなくてはいけないと感じたことが多かったと宮本は振り返る。 1年生の6月頃からトップチームに上がった宮本だが、当時のトップチームは主力となっていた選手たちが卒業したこともあり、新しい世代で苦しい戦いをしていたことに加え、個性派と表現されることの多かったやんちゃさを持った4年生たちの方向性がひとつを向いているとは言い難い状況だった。 トップチームの低迷もあり、1年生主体チームで早速選手としての可能性を多いに感じさせていた選手たちを早い時期からトップチームへと昇格させ、中野監督は積極的に起用した。 当時のチームは決して良い空気とはいえず、当時の4年生の圧も相当なものだったが、それでも宮本は誰かが言わなければ変わらないと感じ、率先して先輩たちを相手に意見を言った。 「当時の4年生…今考えると,こわかったですね。でもそれでも言わなきゃいけないと思ったし、言わなきゃ変わらないと思った。 1年生だったけど、相当強い言葉で言っていたと思う。ピッチの上でも外でも。そのまま終わるのが、嫌だった」...

目標として追った守護神として君臨した存在。自分だけの届ける『声』でチームの中心となるGKへ 松本山雅FC 薄井覇斗】

FOOTBALL TRIP #5【目標として追った守護神として君臨した存在。自分だけの届ける『...

松本山雅FC入団 薄井覇斗 目標として追った守護神として君臨した存在 自分だけの届ける『声』でチームの中心となるGKへ ShareTweetE-mail J1クラブ入り7名を含む12名ものJリーガーを輩出することとなった流通経済大学で守護神を務めたのが GK薄井覇斗だ。 流通経済大学付属柏高校では高校選手権準優勝を経験し、日本高校選抜への選出など、注目された高校時代を経て流通経済大学に入学し4年間を戦った。 しかし、その道のりは平坦だったわけでは当然ない。 プロサッカー選手になる、と覚悟を持って目標を掲げ過ごした4年間を経て、松本山雅FCで実現することが決まった。 「チームの中心になって、チームを引っ張る存在になりたい」と今後の目標を言葉にした。 チームの中心となる—。 それが実現できるGKであることが、薄井の特徴であり、特性だ。 不動の定位置オビを目指し、目標とした日々。 見つけた自分とは違う部分、そして自分にしかできないこと。 薄井の入学時。2つ上には当時、不動の守護神が君臨していた。 当時、東京五輪を目指すU22代表にも選出されていた現・横浜Fマリノスのオビ・パウエル・オビンナだ。 流経大からこれまで多くの選手たちがプロサッカー選手となり輩出されているが、入学前までにどんなに実績を持った選手であっても、コンスタントに1年生から4年生までトップチームにて試合に出続けていた選手はほとんどいない。 しかし、オビは1年生時の開幕戦からトップチームのゴールマウスにほとんどの場面で立ち続けていた。 薄井は高校生の時から、オビが在籍しているうちにオビを越えることを目標として掲げ、守護神オビの背中を追い続けた。 「自分との身体の大きさに差はあるが、手を伸ばしたり足の届く範囲だったりという守備範囲における身体での守り方は凄いものがあった。 そして監督やコーチに何を言われても、怒られても。常に良い意味で飄々(ひょうひょう)としていた。それはそれでしょ、と流せるというか、別にしてそれを置いておくことができる。 そのメンタル的な部分にも学ぶことがありました」 「自分は監督からの指示や言葉を受け止めやすい部分があって。必死になってそれをやらなきゃ。やらなきゃ。となってしまうところがあったので。 ミスしちゃいけない。これはやっちゃいけない。と縮こまってしまうクセがあって。プレーで良くない自覚があると、今の監督に言われてしまうかなぁと思ってしまったり。 でもそれを遠藤さん(遠藤大志GKコーチ)に話をすると、『監督に評価されるためだけにサッカーをやっているわけではないんだから。監督の言っていることは絶対に必要なことではあるけれど、そればかりを意識するな』と。 自分なりに噛み砕けるようにはなっていきました」 「でも中野監督が言うことっていうのはキーパーにとっては当たり前のことというかセオリーなこと。 ある種、当たり前のことなんです。でもその当たり前のことを指摘されるプレーをしてしまっている自分がいて。 だから、そういった部分に意識を置いて。セオリー通りのことは当たり前にできるように、そういった部分に意識して日々練習に取り組んでいました」...

FOOTBALL TRIP #5【目標として追った守護神として君臨した存在。自分だけの届ける『...

松本山雅FC入団 薄井覇斗 目標として追った守護神として君臨した存在 自分だけの届ける『声』でチームの中心となるGKへ ShareTweetE-mail J1クラブ入り7名を含む12名ものJリーガーを輩出することとなった流通経済大学で守護神を務めたのが GK薄井覇斗だ。 流通経済大学付属柏高校では高校選手権準優勝を経験し、日本高校選抜への選出など、注目された高校時代を経て流通経済大学に入学し4年間を戦った。 しかし、その道のりは平坦だったわけでは当然ない。 プロサッカー選手になる、と覚悟を持って目標を掲げ過ごした4年間を経て、松本山雅FCで実現することが決まった。 「チームの中心になって、チームを引っ張る存在になりたい」と今後の目標を言葉にした。 チームの中心となる—。 それが実現できるGKであることが、薄井の特徴であり、特性だ。 不動の定位置オビを目指し、目標とした日々。 見つけた自分とは違う部分、そして自分にしかできないこと。 薄井の入学時。2つ上には当時、不動の守護神が君臨していた。 当時、東京五輪を目指すU22代表にも選出されていた現・横浜Fマリノスのオビ・パウエル・オビンナだ。 流経大からこれまで多くの選手たちがプロサッカー選手となり輩出されているが、入学前までにどんなに実績を持った選手であっても、コンスタントに1年生から4年生までトップチームにて試合に出続けていた選手はほとんどいない。 しかし、オビは1年生時の開幕戦からトップチームのゴールマウスにほとんどの場面で立ち続けていた。 薄井は高校生の時から、オビが在籍しているうちにオビを越えることを目標として掲げ、守護神オビの背中を追い続けた。 「自分との身体の大きさに差はあるが、手を伸ばしたり足の届く範囲だったりという守備範囲における身体での守り方は凄いものがあった。 そして監督やコーチに何を言われても、怒られても。常に良い意味で飄々(ひょうひょう)としていた。それはそれでしょ、と流せるというか、別にしてそれを置いておくことができる。 そのメンタル的な部分にも学ぶことがありました」 「自分は監督からの指示や言葉を受け止めやすい部分があって。必死になってそれをやらなきゃ。やらなきゃ。となってしまうところがあったので。 ミスしちゃいけない。これはやっちゃいけない。と縮こまってしまうクセがあって。プレーで良くない自覚があると、今の監督に言われてしまうかなぁと思ってしまったり。 でもそれを遠藤さん(遠藤大志GKコーチ)に話をすると、『監督に評価されるためだけにサッカーをやっているわけではないんだから。監督の言っていることは絶対に必要なことではあるけれど、そればかりを意識するな』と。 自分なりに噛み砕けるようにはなっていきました」 「でも中野監督が言うことっていうのはキーパーにとっては当たり前のことというかセオリーなこと。 ある種、当たり前のことなんです。でもその当たり前のことを指摘されるプレーをしてしまっている自分がいて。 だから、そういった部分に意識を置いて。セオリー通りのことは当たり前にできるように、そういった部分に意識して日々練習に取り組んでいました」...

流通経済大学サッカー部 流経大 サンフレッチェ広島入団 満田誠 〜突き詰めた『真面目』で魅せたキャプテンの形と証〜

FOOTBALL TRIP #4 「突き詰めた『真面目』で魅せたキャプテンの形と証。 サンフレ...

サンフレッチェ広島入団 満田誠 〜突き詰めた『真面目』で魅せたキャプテンの形と証〜 ShareTweetE-mail J1内定7名を含むチーム史上最も多いJリーグ内定者12名。 今季のチームは、これだけプロの世界に必要とされる選手の多いチームであることで大きな注目を集めただけでなく、225名以上が所属する大所帯のチーム。 そこで、チームを代表するキャプテンを務めるということは、誰もが想像するよりもずっとずっと、重い。 史上最高とも評されたチームでキャプテンを務めたFW満田 誠は、サンフレッチェ広島でプロサッカー選手となる。 強く意識した『真面目』であるキャプテン。 自分の長所を突き詰め徹した『チームのために』 タレント揃いであることに加え、2020シーズンの曺貴裁氏による指導と教えにより急成長した選手たちも台頭したことで過去最強になるかもしれないと期待が懸けられたチームの新たなキャプテンに使命されたときは「自分でも意外だった」と話した満田。 「キャプテンは優太(宮本)が相応しいと思っていた。付属高(流経柏)でもキャプテンをやっていたし、チームを引っ張る強い力がある。でも自分がキャプテンと言われたことで、自分にどんなことが求められているのかと考えたときに、自分の長所である なにより『真面目』であることだと思った」 「チームの内外全ての人たちが見たり聞いたりしても、どこからでも自分は『真面目』であること、が必要だと思っていた」 225名を越える同世代の選手たちが生活を共にする日々の中で、様々な問題が常に存在する。さらにサッカーチームとして方向性を持って進まなくてはならない、チームとしての歩みも共存する。 その中でキャプテンという立場から、どうしても言いたくないことでも言わなければならない時がある。 時に問題提議をしたり、時に人を否定したり。嫌われ役になることもある。そういった時に説得力がなくては、と考えた。 「あの人に言われるなら仕方ない、という存在にならなければならないと思っていました」 『真面目』なキャプテンで在り続ける自分との葛藤や、『真面目』さを確立させるためにあった苦悩も当然存在したが、それでもチームのために、と自分のことは二の次としてチームの先頭に立ち続けた最高学年の1年間。 ひとつの節目を終えて時間を振り返ると、あっという間だったと表現する人が多いが 満田はこの1年を「すごく長かった」と振り返る。 大学サッカー最高峰の関東リーグを獲った彼らは、続くインカレでも当たり前のように大学の頂点を目指し挑んでいたが、準決勝で関西・阪南大を相手に延長まで戦い1-2で敗れた。 試合後、思わぬところで大学最後の試合となってしまった悔しさ溢れるNACK5スタジアムのピッチに最後まで残っていたキャプテン満田に、中野監督が寄り添うように肩を抱き、声をかけた。 「1年間、ありがとう。4年間ありがとうな。」 監督の言葉に、長かったキャプテンとしての1年間の張りつめていたものが一気に溢れ出た。自分の定めたキャプテン像を目指し、守り、戦った1年だった。 たまらなく、涙がこぼれた。キャプテンであるという重みをさらに重く課したのは、責任感からだった。 監督やスタッフ、そしてチームメイトも満田の『真面目』さ故にその課した日々大きくなる重みに潰されてしまわぬよう配慮だってしたはずだ。そう支え合っていた関係性があったからこそ、強くなったのだ。 大学4年間で成長できたと実感していることは、と問われ、 「キャプテンとしてチームを引っ張っていく難しさを学んだこと」と、満田は答えた。...

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サンフレッチェ広島入団 満田誠 〜突き詰めた『真面目』で魅せたキャプテンの形と証〜 ShareTweetE-mail J1内定7名を含むチーム史上最も多いJリーグ内定者12名。 今季のチームは、これだけプロの世界に必要とされる選手の多いチームであることで大きな注目を集めただけでなく、225名以上が所属する大所帯のチーム。 そこで、チームを代表するキャプテンを務めるということは、誰もが想像するよりもずっとずっと、重い。 史上最高とも評されたチームでキャプテンを務めたFW満田 誠は、サンフレッチェ広島でプロサッカー選手となる。 強く意識した『真面目』であるキャプテン。 自分の長所を突き詰め徹した『チームのために』 タレント揃いであることに加え、2020シーズンの曺貴裁氏による指導と教えにより急成長した選手たちも台頭したことで過去最強になるかもしれないと期待が懸けられたチームの新たなキャプテンに使命されたときは「自分でも意外だった」と話した満田。 「キャプテンは優太(宮本)が相応しいと思っていた。付属高(流経柏)でもキャプテンをやっていたし、チームを引っ張る強い力がある。でも自分がキャプテンと言われたことで、自分にどんなことが求められているのかと考えたときに、自分の長所である なにより『真面目』であることだと思った」 「チームの内外全ての人たちが見たり聞いたりしても、どこからでも自分は『真面目』であること、が必要だと思っていた」 225名を越える同世代の選手たちが生活を共にする日々の中で、様々な問題が常に存在する。さらにサッカーチームとして方向性を持って進まなくてはならない、チームとしての歩みも共存する。 その中でキャプテンという立場から、どうしても言いたくないことでも言わなければならない時がある。 時に問題提議をしたり、時に人を否定したり。嫌われ役になることもある。そういった時に説得力がなくては、と考えた。 「あの人に言われるなら仕方ない、という存在にならなければならないと思っていました」 『真面目』なキャプテンで在り続ける自分との葛藤や、『真面目』さを確立させるためにあった苦悩も当然存在したが、それでもチームのために、と自分のことは二の次としてチームの先頭に立ち続けた最高学年の1年間。 ひとつの節目を終えて時間を振り返ると、あっという間だったと表現する人が多いが 満田はこの1年を「すごく長かった」と振り返る。 大学サッカー最高峰の関東リーグを獲った彼らは、続くインカレでも当たり前のように大学の頂点を目指し挑んでいたが、準決勝で関西・阪南大を相手に延長まで戦い1-2で敗れた。 試合後、思わぬところで大学最後の試合となってしまった悔しさ溢れるNACK5スタジアムのピッチに最後まで残っていたキャプテン満田に、中野監督が寄り添うように肩を抱き、声をかけた。 「1年間、ありがとう。4年間ありがとうな。」 監督の言葉に、長かったキャプテンとしての1年間の張りつめていたものが一気に溢れ出た。自分の定めたキャプテン像を目指し、守り、戦った1年だった。 たまらなく、涙がこぼれた。キャプテンであるという重みをさらに重く課したのは、責任感からだった。 監督やスタッフ、そしてチームメイトも満田の『真面目』さ故にその課した日々大きくなる重みに潰されてしまわぬよう配慮だってしたはずだ。そう支え合っていた関係性があったからこそ、強くなったのだ。 大学4年間で成長できたと実感していることは、と問われ、 「キャプテンとしてチームを引っ張っていく難しさを学んだこと」と、満田は答えた。...